すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができません(ローマ 3:23)。聖書は、「すなわち、ちょうどひとりの人の不従順によって多くの人が罪人とされた」(ローマ 5:19)とあります。罪を犯さない人がいますか。いいえ、絶対にいません。では、私たちの運命はどうなるのでしょうか。神は、私たちが何らかの罪を犯した場合、それがどのように犯されたかに関係なく、私たちの行動、心、思考によって、私たちはすべて滅ぼされるとおっしゃいました。神は「罪から来る報酬は死です」(ローマ 6:23)と言われたので、もし私たちがからし種のような小さな罪さえ持っていたとしても、必ずこの罪を洗い流されなければなりません。人類全体が神の前で罪を犯しており、そのためにすべての人が罪のために罰されることを免れませんでした。しかしながら、神が「罪から来る報酬は死です」とおっしゃったように、神は御子にバプテスマを授けさせ、御子が十字架につけられることをお許しになりました。罪から来る報酬は死です。ここで死とはどういう意味でしょう。地獄は死を意味するものです。
ヘブル 9:27 には、次のようにあります。「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている。」 神は、私たちが死ぬときに裁きが私たちを待っているとおっしゃいます。義人であろうと罪人であろうと、罪の赦しを受けている人も受けていない人も、肉体的な死を超えて永遠に生きます。人間が神ご自身のかたちに造られたということは、神は永遠に生きておられるので、誰もが願っているかどうかにかかわらず、絶対に永遠に生きるということです。しかし、永遠のいのちには二種類あることを覚えておいてください。一つは天の御国の祝福された永遠のいのちであり、もう一つは地獄の呪われた永遠のいのちです。
イエス・キリストは永遠の天の大祭司です。イエスは、天の御国の大祭司として、この地上に来られ、地上のいけにえをささげることによってではなく、イエスご自身のからだをささげることによって、人類のすべての罪を消し去られました(ヘブル 7:21, 8:11-12, 10:10)。神は、この地上に来られ、みなさんと私を世の罪からお救いくださるために、すべてバプテスマをお受けになって、すべての罪を負われたお方です。天の御国の大祭司であるイエス・キリストは、人の肉のかたちで、この地上に来られ、バプテスマによって人類の罪をご自分のからだに受け取られました。これを通して、みなさんの罪はすべて、ただ一度でイエス・キリストに移されました。そしてイエス・キリストはバプテスマによって、ご自分のからだに私たちの罪を受け取られたので、十字架に行き、十字架につけられ、ご自分の血を流して死なれたのです。